发布时间:2019年7月3日 已帮助: 2080 人 来源:上海昂立日语
問題8 次の(1)から(4)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。
(1)
何かを学ぶということは、もちろん、問題に答える知識や技術を身につけるという意味もあるけれど、それは実は学ぶことの本質ではない。ぼくらは本や学校で、これまでひとが見(み)出(いだ)してきたさまざまな秩序、筋道を学ぶ。だけどそうやってさまざまな「型」を学ぶことによって、いままで見えていなかった、あるいはぼんやりとしか見えていなかった「型やぶり」なものが見えてくるようになる。つまり、学べば学ぶほど、見えてくる問題は増えるというわけだ。
(野矢茂樹『はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内』による)
46 筆者は、学ぶことの本質とはどのようなことだと考えているか。
1 「型」を学ぶことで、気づいていなかった問題を認識できるようになること
2 知識や技術を身につけて、さまざまな秩序や筋道が見えるようになること
3 既存の「型」に固執せず、常に「型やぶり」なことに挑むこと
4 他人が見(み)出(いだ)したことを学ぶのではなく、自分自身で考えること
(2)
以下は、ある旅館に届いたメールである。
47 このメールが最も伝えたいことは何か。
1 予約が成立しているか知らせてほしい。
2 予約内容に間違いがないか確認してほしい。
3 予約ページに不具合がないか調べてほしい。
4 予約時に希望した夕食時間を遅らせてほしい。
(3)
(注)ナース:看護師
48 筆者によると、医療関係者に求められていることは何か。
1 患者の希望を聞いて治療方法を再考すること
2 患者が納得できる医学的な見解を示すこと
3 患者の目を最新の治療に向けさせること
4 患者を医学的な認識に導くこと
(4)
日記とは限りなく私的な記録であり、読者が存在しないどころか、他人には読まれたくない秘密の表現であるともいえる。
ただ一人だけ、奇妙な読者が存在する。いつでも自由に日記を読むことの出来る、日記の筆者である。その読者は筆者とは異なる場に立って、様々な配慮を働かす。万が一日記が盗(ぬす)み読まれたり(注)、死後に他人の目に曝(さら)されるような事態が発生した場合、こんなことが書かれているのはまずいのではあるまいか、等(とう)々(とう)と。しかし、これは限りなく私的な記録である筈(はず)の日記にとっては矛盾である。
(黒井千次『図書』2007年2月号による)
(注)盗(ぬす)み読む:他の人の日記や手紙などをこっそり読む
49 矛盾であるとあるが、何が矛盾か。
1 他人に読まれる可能性のある日記に秘密を書き残すこと
2 日記の筆者が他人に読まれることを想定すること
3 日記は筆者しか読まないのに、他人にも読みやすく書くこと
4 日記は私的なものなのに、他人に自由に読まれるかもしれないこと
問題9 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。
(1)
十年絵を描いてきて、最近になってようやく筆の止めどころがわかってきたかな、と思います。描きすぎずに筆を置くコツが少しずつわかってきた。
最初のうちは、筆が多くなるものなんです。描きたいという気持ちが強いだけに、まだ足りない、まだ足りないという気になって、どんどん描き足してしまう。だけど、それを無理してセーブすることはないと思います。やっぱり、①とことん行ききっちゃったほうがいいんですよ、何事も。
たとえば、空腹のときに腹一杯食べて満腹感というものを味わっておかないと、加減というものがわかりません。人間、満腹を知っているから、これはまだ五分(注1)、腹八分といったらこの程度だという加減がわかる。一回とことんやってみることで、抑えることや、行きすぎないことの良さが初めてわかるものですからね。
(中略)
自分が描きたいモチーフそのものと対(たい)峙(じ)して(注2)、自分の感じたところで筆を進めている分にはいいんですが、客観的にそれを見て、ここが足りない、あそこが足りないと思って描き足してしまうと、止めどころがわからなくなってしまいます。それは、自分がどう見てどう感じたかという気持ちを素直に絵にするということとは違ってくる。②絵を説明してしまうことになる。そうすると、絵がうるさくなります。
客観的な眼(め)を持つことも確かに大事なことではあるんですが、見たまま感じたままのストレートな気持ちを解説してはいけないと思うんです。
(片岡鶴太郎『鶴太郎流 墨彩画入門』による)
(注1)五分:全体の50パーセント
(注2)対(たい)峙(じ)する:向き合う
50 筆者は絵を描き始めたとき、どのように描いていたか。
1 筆の進め方を身につけようと思って描いていた。
2 筆を進めすぎないように心掛けて描いていた。
3 描きたい気持ちを抑えながらも描き足していた。
4 描きたいという感情に任せて描き足していた。
51 ①とことん行ききっちゃったほうがいいんですよとあるが、なぜか。
1 描きたい気持ちがどのくらいかがわかるから
2 描きたいものが何なのかがわかるから
3 描きすぎないことの大切さがわかるから
4 描き加えることの楽しさがわかるから
52 ②絵を説明してしまうことについて、筆者はどのように考えているか。
1 絵を思いのままに描き足しすぎるので、絵に面白みがなくなる。
2 絵を描きたいという気持ちを抑えるので、表現が素直でなくなる。
3 絵を客観的な視点で描くので、見る人にあまり感動を与えられなくなる。
4 絵を客観的に見て描き足しすぎるので、感じたままの気持ちが表現されなくなる。
(2)
大方の予想に反して、科学が飛躍的な成果をもたらす現場では、誰もが実生活のなかで体験する新鮮な驚きや、たわいのない(注1)思いつきの類いがその起点となっている。むしろ、科学の画期的な発明発見ほど、かぎりなく日常的で具体的なものごとがもとになっているのである。(中略)
しかし、日(ひ)頃(ごろ)の思いつきや驚きと違って、思いついて終わり、驚いただけ、ということにならないところが、ようするに科学の特徴である。思いつきや驚きは、新しい確かな「ものの見方」、へのきっかけでしかなく、科学とはそれらをとことん洗練する創意工夫の営みにほかならない。実は創意工夫こそが、歴史上も有数の科学者たちに見られる、かなり一貫した姿勢なのである。
何かに驚いて、それまでは当然だと思っていたことに、少し違った角度から眼(まな)差(ざ)しをむけてみる。それだけではなく、違った角度から見えてきたことを首(しゅ)尾(び)一貫させ(注2)、確かなものにすると、求めても無駄な望みだと決めつけていたことが、あっさりと実現できることに気づく。新鮮な驚き、ささいな思いつき、そしてちょっとした理解の修正をきっかけに、常識とは少し違った「ものの見方」をしたとき、どこか一面化していた常識そのものがより豊かなものにならないか考えてみる。これが科学を本当に発展させた人々に共通した姿勢である。
(瀬戸一夫『科学的思考とは何だろうか―ものつくりの視点から』による)
(注1)たわいのない:ここでは、小さな
(注2)首(しゅ)尾(び)一貫させる:始めから終わりまで一貫しているようにする
53 その起点とあるが、何の起点か。
1 科学における大きな発明や発見
2 日常のなかでの新鮮な発想
3 生活のなかの科学的体験
4 実生活に役立つ科学
54 筆者は、科学における思いつきや驚きを、どのようなものと考えているか。
1 科学的な「ものの見方」の本質を形づくるもの
2 科学の理論を日常的な出来事に関連づけるもの
3 いつもとは違う視点を得る契機となるもの
4 創意工夫をする過程で生まれてくるもの
55 科学を発展させた人々に共通している姿勢は何か。
1 思いつきや驚きをそのままにせず、常識とは違う見方をしようとする。
2 思いつきや驚きをこれまでの科学的知識で説明しようとする。
3 発想の転換を通して、独創的な考え方を身につけようとする。
4 発想の転換をすることで、常識的な「ものの見方」を否定しようとする。
(3)
多くの人は、個性の持ち主にあこがれて、できれば見習いたいものだと思いながら、実は一方で「人並み」であることをひそかに求めてもいる。「ひと」からはずれていたり、おくれていたりすることは、彼らを極度に不安にする。「同じ」思いを抱いていたことを発見することは大きな安心を与えるはずであるから、「同じ」思いの通ずる仲間が見つかると、すぐにでも群れようとする。①そういう人間の傾向は、別に日本人にだけそなわったものというわけでもなく、ほとんど本能的なものとして、多かれ少なかれ誰もが抱えている要素であるといってよい。
にもかかわらず凡(ぼん)庸(よう)さ(注1)は、表向き、なぜこれほど忌(い)み嫌われる(注2)のか。それは、おそらく、人間というものの大多数が凡(ぼん)庸(よう)な生を生きるほかなく、自分の未来もまたその限界のなかにあることをうすうす知っているのだが、そのことをそう決めつけられることは、自分の生を希望のない確定的なイメージに塗り込めてしまうことであり、それは②個としての価値を否定されてしまうことにつながると感じられるからである。
生きる意欲が現にあるのに、おまえの未来はこのとおり当たり前のものでしかないと規定されることは、未来に向かうものとしてある「生の意欲」の本質的条件を根こそぎにしてしまう。自らが有限な存在であることを大筋ではわきまえつつ、しかもその範囲内に未知の部分を必ずいくらかは残しておく。そこに自らが個であることの確証をかろうじて求めようとするのだ。
(小浜逸郎『この国はなぜ寂しいのか―「ものさし」を失った日本人』による)
(注1)凡(ぼん)庸(よう)さ:ここでは、人並み、平凡であること
(注2)忌(い)み嫌う:ひどく嫌う
56 ①そういう人間の傾向とあるが、どのような傾向か。
1 個性の持ち主に表面的には感心しつつも、内心ではそれほど認めない。
2 個性を重視し、意識的に自身と似た個性を持つ人としか群れようとしない。
3 個性的でありたいと願いながらも、自身と思いが同じ人と群れて安心する。
4 個性的であることを切望し、個性が強い人と集まって安心感を得る。
57 何が②個としての価値を否定されてしまうことにつながるのか。
1 自身の限界を示され、将来に不安を感じること
2 自身の平凡さを思い知らされ、限界を自覚すること
3 自身の平凡さを指摘され、生きる意欲をなくすこと
4 自身の無能さに気づかされ、自己の存在に不安を感じること
58 筆者の考えに合っているのはどれか。
1 人間は自らの可能性を広げ、自身の価値を高める。
2 人間は個であることの確証を得て、自身の価値を高める。
3 人間は自らに希望の余地を残し、生きる意欲を保つ。
4 人間は常に新たな希望を探しながら、生きる意欲を保つ。
問題10 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。
音楽に限ったことではないが、芸術、文化などの名で呼ばれるものはどうしても、現実の政治経済や社会生活に関わることがらとは切り離されたものと考えられることが多く、またそうであるがゆえに価値をもつものとされてきたと言った方が良いだろう。近年のように財政状況が悪化するなど、現実生活をめぐる状況が深刻になってくると、こういうものはしばしば不要不急な「無駄」として切り捨てられそうになる。他方で、荒れた世の中をしばし(注1)忘れるためのオアシスのような場所としての意義が叫ばれるようになったりもするのだが、いずれにしてもその音楽を研究している立場のわれわれはしばしば、「この世(せ)知(ち)辛(がら)い(注2)世の中で、そんなことをやっていられるというのはうらやましいことです」などと言われ、①何とも複雑な心境になるのである。
だが、コペルニクス的転回を遂げた(注3)と言っても過言ではない近年の文化研究の進展の中で、政治や社会の話と切り離して文化が論じられるなどということが幻想である、というより、そのような幻想自体、すでに一定の政治的社会的イデオロギーの刻(こく)印(いん)を帯びた(注4)ものにほかならなかったということが明らかにされてきた。今や、音楽研究者の中にも、政治や社会から切り離された純粋な「音楽そのもの」がどこかに宙(ちゅう)(注5)に浮いたような形で存在しているなどと素朴に信じているような人は誰もいないだろう。
音楽研究に関わる人々の意識も変わり、研究の内実も大きく変わってきているにもかかわらず、むしろ、音楽研究の世界の外側にいる人の方が、音楽を「純粋」な形で囲い込みたがっているように思われるのは②皮肉なことだ。社会科学の最先端で議論をしている人が、音楽の話になったとたんに、30年前の音楽研究に戻ったかのような古典的なデータや図式でものを考えていることが明らかになるような場面に、これまで何度か出会ってきた。歴史学者などが中心になって編んだ領域横断的な論(ろん)集(しゅう)などで、音楽の部分だけはひどく浮(うき)世(よ)離れした(注6)古めかしい論文が掲載されており、音楽研究の最近の成果と大きく乖(かい)離(り)してしまっているようなこともしばしばある。ここ十数年で、音楽研究者の目に映る音楽の世界もずいぶん変わっているのに、われわれの発信が不足しているために、そのおもしろさを十分に伝え切れていない、そんな気がするのである。
(渡辺裕『音楽は社会を映す―考える耳[再論]』による)
(注1)しばし:しばらく
(注2)世(せ)知(ち)辛(がら)い:暮らしにくい
(注3)コペルニクス的転回を遂げる:考え方がこれまでと根本的に変わる
(注4)刻(こく)印(いん)を帯びる:ここでは、影響を受ける
(注5)宙(ちゅう):空中
(注6)浮(うき)世(よ)離れした:現実と懸け離れた
59 ①何とも複雑な心境になるとあるが、なぜか。
1 芸術や文化の価値が現実生活で高く評価されないから
2 芸術や文化と社会生活との関係が希薄になっていくから
3 芸術や文化の研究が現実生活に役立たないと思われているから
4 芸術や文化が社会生活とは懸け離れていると思われているから
60 筆者によると、近年の音楽研究者は音楽をどのようにとらえているか。
1 社会の状況が悪化した時に最も必要とされる。
2 他の芸術や文化と同等には論じられない。
3 現実生活と乖(かい)離(り)した純粋なものである。
4 政治や社会に深く関わっている。
61 ②皮肉なことだとあるが、何が皮肉なのか。
1 音楽研究者以外の人の方が、音楽について最先端の議論をしたがっていること
2 音楽研究者以外の人の方が、音楽を特別なものとしたがっていること
3 音楽研究者以外の人の方が、音楽を純粋に楽しんでいること
4 音楽研究者以外の人の方が、音楽をよくわかっていること
62 現在の音楽研究者のあり方について、筆者はどのように述べているか。
1 音楽のもつ普遍的な価値を社会によりわかりやすく伝えることが課題だ。
2 音楽研究の成果をこれまで以上に発信することが求められている。
3 最先端の音楽研究について議論していくことが重要である。
4 音楽に対する意識を変えて新たな研究に取り組むべきだ。
問題11 次のAとBの文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。
A
B
(注)フードシステム:食品が生産者から消費者に届くまでの流れ
63 AとBの認識で共通しているのは何か。
1 食品の安全対策に消費者の意見が反映されていない。
2 食品問題への対策は安全性を考えるだけでは十分ではない。
3 食品の安全性に関して科学的な証明が重視されていない。
4 食品は絶対に安全だと言えなければ消費者は納得しない。
64 AとBは、どうしたら消費者が安心を得られると述べているか。
1 AもBも、消費者自身が食の安全により関心を持つことで得られると述べている。
2 AもBも、消費者が信頼できる説明を生産者側がすることで得られると述べている。
3 Aは消費者が安全性を理解することで得られると述べ、Bは消費者と生産者側が信頼関係を築くことで得られると述べている。
4 Aは消費者が科学的知識を身につけることで得られると述べ、Bは生産者側がより精度の高い安全証明をすることで得られると述べている。
問題12 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。
目を見て話す
この秘(ひ)訣(けつ)を教えてくれたのは、まだ小さかった頃(ころ)の娘でした。
「外から帰ったら、手を洗いなさい」
「ごちそうさまを言いなさい」
(中略)
どんなに声に威厳を込めたつもりでも、新聞を読みながらだと、まるでだめ。
「お父さんはこう言っているけど、手を洗うっていうのは、別に大事なことじゃないんだな」
きちんと目を見ていないと、子どもはたちまちそう判断してしまいます。よそ見をしながら口やかましく繰り返しても、①「ごちそうさま」を言うようにはならないのです。
目を見て話すことは、わかり合い、メッセージを伝え、コミュニケーションをよくする秘(ひ)訣(けつ)。これは子どもに限ったことではありません。仕事でも家庭でも、すべての場において有効です。
大人になると、ぎくしゃくすることは頻繁にあります。
環境も価値観も考え方も違う人たちの集まりである以上、意見が食い違ったり、誤解が生じてトラブルになることは珍しくありません。
「じっくり話し合えば、ちゃんとわかり合える」というのは、僕の見たところ、残念ながら理想論。どちらかが妥協したり、お互いがちょっと意見を曲げたりして合わせているだけで、100パーセントの解決などありえないのが現実です。
あげくの果てに(注)「話しても無駄だし、また同じことの繰り返しか」とうんざりし、コミュニケーションをあきらめてしまう――ほうっておくとこんな事態に陥ることも、珍しくはありません。
それでもコミュニケーションをあきらめたくないと思ったとき、僕はこの秘(ひ)訣(けつ)を思い出しました。いくら意見が食い違っても、どんなにトラブルが燃え上がっても、必ず相手の
目を見て話をするということを。
考え方がまるで合わず、最後まで言い分は平行線をたどるような議論でも、相手の目を見て話し続ければ、不思議なことに相手に尊敬の念が湧(わ)いてきます。
たとえ「この人の言っていることは、間違っている!」と思っていても、相手の目を見て聞いていれば、「その人の人間性」に対しては、別の気持ちを抱くようになります。意見は認められなくても、人としては認められるということです。
とことん言い合っても目と目を見つめ合っていれば、不思議な一体感すら生まれます。
結果として解決には到(いた)らなくても、悪い方向には向かわない。これだけは、何度も試した僕の保証つきです。
疲れていたり、へこんでいたりすると、人は目を見て話すことができません。そして下を向いていればいるほど、良くない事態が悪化します。
さあ、洗い物をしながら大事な話をするのはやめましょう。パソコンから顔を上げて、
まっすぐ目を見て話しましょう。
理解できない相手でも、受け入れられない相手でも、この秘(ひ)訣(けつ)を知っていれば、②何か別の関係が生まれるはずです。
(松浦弥太郎『あたらしいあたりまえ。―暮らしのなかの工夫と発見ノート2』による)
(注)あげくの果てに:結局
65 子どもは、①?ごちそうさま?を言うようにはならないとあるが、なぜか。
1 親が手本を見せないとわからないから
2 親がやかましく言うとかえって逆効果になるから
3 その言葉を言うことが習慣になっていないから
4 その言葉が必要だという親の気持ちが伝わらないから
66 大人同士の人間関係について、筆者はどのように述べているか。
1 話し合いを重ねても、お互いを理解できないことがある。
2 お互いを理解するためには、最後まで議論することが必要だ。
3 話し合いの場で誤解をなくすには、お互いが妥協しなければならない。
4 コミュニケーションをあきらめると、トラブルになることも珍しくない。
67 ②何か別の関係が生まれるとあるが、どういうことか。
1 相手の人間性を認めるようになる。
2 相手の意見を容認できるようになる。
3 相手の態度を受け入れるようになる。
4 相手の価値観を理解できるようになる。
68 この文章で筆者が言いたいことは何か。
1 問題を解決するためには、相手の目を見て理解できるまで話し合えばいい。
2 コミュニケーションのためには、相手の目を見て話すことが大切である。
3 相手に誤解されないためには、目を見てコミュニケーションをすればいい。
4 自分を理解してもらうには、目を見て繰り返し話すことが大切である。
問題13 右のページは、市民農園の利用者募集案内である。下の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。
69 ムディさんは、市民農園を借りたいと考えている。作る野菜は自分で決めたいが、農作業の経験がないので作り方を教えてほしいと思っている。ムディさんはどの農園
を借りたらよいか。
1 ①
2 ②
3 ③
4 ④
70 原口市の市民農園を借りる際に、留意しなければならないことはどれか。
1 原口市に住んでいる人しか借りることができない。
2 同じ農園を3年以上連続して借りなければならない。
3 自分で農(のう)具(ぐ)を準備しなければならない農園がある。
4 早く応募しないと希望の農園が借りられないことがある。
以上就是网络小编为您整理2013年12月日语能力考N1级阅读真题的全部内容,有关日语培训的课程请进入日语培训栏目查看。