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2014年12月日语能力考N1级阅读真题

发布时间:2019年7月2日       已帮助: 1117 人       来源:上海昂立日语

2014年12月日语能力考N1级阅读真题


問題8 次の(1)から(4)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。


(1)


失敗はすべて、子どもがその後の人生を大過(注)なく生きるための血となり、肉となる。そう思えば、失敗する前に手を出すことがいかに愚かな教育か、わかろうというものです。


 ただし、親は常に子どもをそばでしっかり見守っていなければなりません。手は出さないけれど、いつでも危険から救ってやれるよう、待機するのです。そうして、もし子どもが転んでケガをしたら、「ほら、痛いでしょう。ぶつからないように注意するのよ」と教えてやる。そういう姿勢が親に求められるのです。


                                                                                     (大宅映子『親の常識』による)


(注)大過:大きな過(あやま)ち


46 筆者が親に対して言いたいことは何か。


1 子どもが失敗しなくなるまであきらめずに教えることが大切だ。


2 子どもが失敗しないようあらかじめ教えることが大切だ。


3 子どもが失敗するまでは何も言わずに見守ることが大切だ。


4 子どもが失敗したとしてもそのまま見守ることが大切だ。


(2)


以下は、ある会社がホームページに掲載したお知らせである。


 


47 「ビタミン生活Ⅴ」について、この文章は何を知らせているか。


1 通販を一時中止して、しばらくの間店舗販売のみ行う。


2 生産体制が整い次第、通販に加え店舗販売も再開する。


3 在庫不足のため、現在は通販および店舗販売を中止している。


4 販売は一時すべて中止になるが、後日店舗販売のみ再開する。


(3)


以下は、諦(あきら)めについて書かれた文章である。


 


48 筆者の考えに合うのはどれか。 


1 前へ進みたいなら、無理なことに執着せずに諦(あきら)めることも必要だ。


2 前へ進めない理由がわからないなら、諦(あきら)めることが必要だ。


3 能力を超えていると思っても、すぐに諦(あきら)めてしまっては前へ進めない。


4 能力に合った憧(あこが)れや道を求めるなら、何事も諦(あきら)めてはいけない。


(4)


私が35歳になったころ、「このごろは、少年時代に経験したような、ものすごい雷雨が無くなった」と口にしたことがあります。ところが、60歳ぐらいになったとき、35歳ぐらいの人から同じ言葉を聞いたのです。つまり、私が強い雷雨は無くなったと感じたとき、その人はまだ少年時代で、強い雷雨を経験していたことになります。この場合は、無くなったのは、少年時代特有の自然から受ける鮮烈な印象、驚き、恐れでしょう。


                                       (倉嶋厚『日和見の事典―倉嶋 厚の人文気象学ノート』による)


49 筆者の考えに合うのはどれか。


1 少年時代に経験した雷雨の記憶は、人によって異なる。


2 同じ雷雨でも、今の人は昔の人と同じような印象は受けない。


3 大人になると、子供時代に経験した雷雨の記憶は薄れてしまう。


4 昔も今も雷雨はあるが、大人になると子供のときほど強い印象は受けない。


問題9 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4?から一つ選びなさい。


(1)


  不安は、正体がつかみきれないときほど膨らんでいく。長く引きずる。


  人間だれでも、自分に都合の悪いこと、恐ろしいことは考えたくない。そういう心理が働くから、無意識のうちに問題をあいまいにして解決を保留にする。


  そうして結局、いつまでも不安をダラダラと抱え続けてしまう


  逆に自分の何がどのように不安なのか、不安に思う必要があるのかどうかを把握すれば、それだけで不安は減る。


  不安の正体が明確になって、これは何かしなくてはまずいと認識されれば、それは「危機感」になる。


  危機感は不安と違う。危機感をもてば、行動を起こそうという意欲が湧(わ)く。さらに情報を集めて、行動計画をたてようとする。やるべきことが明確になる。だからスタートが切れるのだ。


  問題は鍵となる不安は何なのかということだ。様々な不安の中から、それを特定して意識する。その不安に、思いきり光を当てて自分で正体を見極められれば、次にどうすればいいかの対策も講じられる。


 (中略)


  不安には、しばらく保留にしておいても大丈夫な不安もある。それがわかった瞬間、不安は、また少し減る。


  こうして、自分が何をやらなければいけないかが見えてくる。やる気が出てくる。動く気になる。不安の解決策を考えながら、夢が膨らんでくることもある。


                                   (佐々木直彦『「仕事も人生もうまくいく人」の考え方』による)


50 いつまでも不安をダラダラと抱え続けてしまうとあるが、なぜか。


1 不安の原因がいくつもあって対処できないから


2 不安について考えることを避けてしまうから


3 不安が一人では解決できないほど大きいから


4 不安に向き合うと不安はさらに膨らんでいくから


51 筆者によると、危機感をもつとどうなるか。


1 次の行動に移れる。


2 行動に自信がもてる。


3 不安の原因が把握できる。


4 不安の正体を突き止めたくなる。


52 不安について、筆者はどのように考えているか。


1 解決しやすい不安から順々に対応するといい。


2 保留にするべきではない不安をまず特定するといい。


3 不安を感じたときはすぐに解決策を考えて実行するといい。


4 不安の原因が何かわかるまでしばらく保留にしておくといい。


(2)


自分の泣いているときの表情や、笑ったときの表情をまともに見たことのある人は、まずない。


 写真やビデオになれば、自然な笑いがおさめられることもあるかもしれないが、そこに映っているのは過去のそれであって、いま内側から生きている感情と重なり合うものではない。その点、鏡ならばそれを同時的に捉(とら)えられそうにもみえる。しかし、じっさいには自分が笑っているとき、その笑っている自分の顔を見たとたん、もはや笑いつづけられなくて、さっと笑いがさめてしまうものである。泣いているときも同じである。(中略)


 自分の表情を視覚的に捉(とら)えることには、そもそも無理がある。他方、他者の表情を内的に捉(とら)えることも、私たちが他者の身体を内側から生きることができない以上、不可能である。ならば他者の表情の理解はほんらい不可能なことだということになるはずだが、私たちは日(ひ)頃(ごろ)から、表情の理解が不可能だとか、困難だとか、ほとんど思いもしない。現に私たちは他者のわずかな表情の変化にも敏感であるし、その表情の理解を土台にすることで人間関係の基本部分を成り立たせている。


 表情は、ほぼ人類に共通であって、微妙な表情は別として、人類がちがっても、それを読み間違うことはまずない。含み笑いとか、苦笑い、あるいは愛想笑いとかいったものだと、同じく笑いでも文化差があって、読み間違うことがあるかもしれないが、典型的な表情に関してはまず間違わない。そうだとすれば類としての人間のなかに、表情を通して人どうしわかり合うメカニズムが、個の単位を越えて存在するものと考えねばならない。


                                   (浜田寿美男『「私」とは何か』による)


53 いま内側から生きている感情と重なり合う表情について、筆者はどのように考えているか。


1 写真やビデオだけでなく、鏡でも見ることができる。


2 写真やビデオはもちろん、鏡ですら見ることはできない。


3 写真やビデオでは見られるが、鏡では見ることができない。


4 写真やビデオでは見られないが、鏡では見ることができる。


54 他者の表情を理解することについて、筆者はどのように考えているか。


1 人間関係が成立すれば容易に理解できるが、それ以前には困難である。


2 人間関係を成立させる上で理解が欠かせないが、現実には容易ではない。


3 理解できないはずだが、現実には人間関係を構築する基盤になっている。


4 理解しようと努力することが、人間関係を構築する上で役立っている。


55 筆者の考えに合うものはどれか。


1 表情から理解し合うことは、人間に備わったメカニズムだと考えられる。


2 感情を表情で表現することは、人間に共通するメカニズムだと考えられる。


3 他者の表情を理解するメカニズムは、経験を通して精巧になると考えられる。


4 典型的な表情の違いを理解するメカニズムには、文化差があると考えられる。


(3)


多くの大人は、子供よりも先に生きているから、自分の方が人生を知っていると思っている。しかしこれはウソである。彼らが知っているのは「生活」であって、決して「人生」ではない。生活の仕方、いかに生活するかを知っているのを、人生を知っていることだと思っている。そして生活を教えることが、人生を教えることだと間違えているのである。しかし、「生活」と「人生」とはどちらも「ライフ」だが、この両者は大違いである。「何のために」生活するのと問われたら、どう答えるだろう。


 こういう基本的なところで大間違いをしているから、小中学校で仕事体験をさせようといった愚(ぐ)(注1)にもつかない教育になる。(中略)生活の必要のない年齢には、生活に必要のないことを学ぶ必要があるのだ。それはこの年齢、このわずかな期間にのみ許された、きわめて貴重な時間なのだ。生活に必要のないことは、人生に必要なことだ。すなわち、人生とは何かを考えるための時間があるのは、この年代の特権なのである。


「人生とは何か」とは、そこにおいて生活が可能となるところの生存そのもの、これを問う問いである。「生きている」、すなわち「存在する」とは、どういうことなのか。


 この問いの不思議に気がつけば、どの教科も、それを純粋に知ることの面白さがわかるはずだ。国語においては言葉、算数においては数と図形、理科においては物質と生命、社会においては人(じん)倫(りん)(注2)、どれもこの存在と宇宙の不思議を知ろうとするものだと知るはずだ。人間精神の普遍的な営みとして、自分と無縁なものはひとつもない。どれも自分の人生の役に立つ学びだと知るはずなのだ。


                (池田晶子『人間自身―考えることに終わりなく』による)


(注1)愚(ぐ)にもつかない:ここでは、ばかばかしい


(注2)人(じん)倫(りん):人として守るべき道


56 多くの大人について、筆者はどのように考えているか。


1 生活も人生もわかっていない。


2 生活と人生の違いがわかっていない。


3 生活と人生の両方を教えている。


4 生活と人生の違いを教えている。


57 筆者によると、子供にとって必要なのはどのような時間か。


1 働くことの意義を考える。


2 人生と生活の違いを学ぶ。


3 生活に必要なことを学ぶ。


4 人が生きている意味を考える。


58 「人生とは何か」と問うことによって、筆者は何がわかると考えているか。


1 自分がなぜ存在しているかということ


2 すべての学びが自分にとって有益だということ


3 教科で扱われている事柄は生活に必要だということ


4 人間が存在すること自体が不思議であるということ


問題10 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。


以下は、ある芸術家が書いた文章である。


 人間は動物とちがって、知的な活動、その情熱をもっている。おさなくたって、魂の衝動は強いのだ。だから子供は描きたがる。形、色にして確かめる。だが問題は自分のなかにあるものを外に突き出す、投げ出すという行為自体であって、決して出来上りの効果ではない。


 だから子供は描きおわってしまったものはふり向きもしない。捨てられたって何とも思わないのだ。(中略)それを大事そうに拾いあげて、「これは面白い。」「坊やは才能がある。これをうまく伸ばせば、将来えらい画家になるかもしれない。」などと、観賞したり評価するのは、いつでも大人で、子供自身は、もしほめられても、そんなものかなと聞いているだけである。


 だから「子供の絵」というような言い方の、根本に何か間違いがある、と私は思う。描いたものには違いないが、「作品」ではない。その以前の、もっと根源的な何ものかなのである。


「絵」などというから、大人の「絵画作品」と混同して考えてしまう。そこにズレがおこる。大人のは見せる芸であり、商品である。はじめから観賞すること、してもらうことを目的とし、結果を予測しながら作り上げたものなのだ。


 いわゆる「絵描きさん」となると、描いている瞬間瞬間に、結果がわかっている。こうやれば、こうなる。習練(注1)と経験によって、色やタッチ(注2)の効果が計算できるし、生命の衝動、情熱、無目的な行動よりも、結果の方に神経が働いてしまう。出来ばえに、逆にひきずり回されているのだ。


 しかも、大(おお)向(む)こう(注3)の気配まですでに見すかして、……こんな趣向は喜ばれるだろう、これはちょっとやりすぎかな、などと意識?無意識に、そんな手応えにあわせながら仕事をすすめている。評判をとり、買(かい)手(て)がついてくれなければ食ってゆけないし、社会が許さない。生活はきびしいのだ。無償の行為というわけにはいかない。


 明らかに「作品」つまり「商品」を作っているのである。


 大人の作品だって、本質的には生命力こそ肝要なのだ。自分の存在を純粋に外に投げ出す、突き出すアクションの質、強さによって、猛烈な魅力になる。


 私自身は、少なくともそのつもりである。よく、あなたの絵はわけがわからないと言われるが、「絵」でございます、というようなものは作りたくない。それ以前、そして以後のものをひたすらつきつける。―――絵ではなく、芸術。そして出来るかぎり他の評価を無視したいと思っている。


                                          (岡本太郎『美しく怒れ』による)


(注1)習練:練習


(注2)タッチ:ここでは、筆の使い方


(注3)大(おお)向(む)こう:ここでは、鑑賞する人々


59 捨てられたって何とも思わないのはなぜか。


1 いつでも描きたいものが描けるから


2 描きたいものが描けて納得したから


3 描きたいという欲求が満たされたから


4 最後まで描けたことに満足しているから


60 子供の描いたものが「作品」ではないのはなぜか。


1 大人ほどの表現力や情熱をもって描かれていないから


2 観賞されることを目的として描かれていないから


3 評価に値する出来上りになっていないから


4 描いた本人が価値を認めていないから


61 「絵描きさん」について、筆者はどのように述べているか。


1 かんぺきな出来ばえを求めている。


2 いつも同じような描き方をしている。


3 買(かい)手(て)の要望どおりに描いている。


4 買ってもらえるように描いている。


62 筆者は芸術をどのようにとらえているか。


1 人を引きつける魅力的なもの


2 情熱に突き動かされて作るもの


3 他人には理解できないようなもの


4 人間の生命力を巧みに表現するもの


問題11 次のAとBの文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。






63 近年の世界遺産について、AとBが共通して認識している点は何か。


1 世界遺産の報道のしかたが過剰になってきている。


2 世界遺産への登録をめざす動きが過熱している。


3 世界遺産への登録で登録以前より価値が上がる。


4 世界遺産は観光振興と密接に関係している。 


64 AとBは、世界遺産をめぐってどのような姿勢を持つべきだと述べているか。


1 AもBも、世界遺産への登録による経済効果は期待すべきではないと述べている。


2 AもBも、認定にかかわらず文化財として価値のあるものは保護すべきだと述べている。


3 Aは保護という本来の目的に立ち戻るべきだと述べ、Bは認定に惑わされずもの自体の価値を見定めるべきだと述べている。


4 Aは世界遺産に値するか冷静に再検討すべきだと述べ、Bは世界遺産だけを特別視せず他にも目を向けるべきだと述べている。


問題12 次の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1.2.3.4から一つ選びなさい。


本というのは、人間と同じようなものだ。一律の価値によって優劣を決めることはできない。人気者がいるのと同じように、ベストセラーがある。嫌われ者がいるように、誰からも手に取られない本もある。だが、どれもがそれぞれの価値を持っている。それを求めている人の手に求めているときに渡れば、それは良書になる。


それゆえ、私はインターネットの書評サイトなどで、まるで自分を神であるかのように本の優劣を断定しているものには激しい抵抗を感じる。もちろん、書評をするのは悪いことではない。本を批判したりほめたりするのも、もちろん大事なことだ。だが、あくまでもそれは、その人の知識と関心と人柄によっての判断でしかない。つい神の立場でものを言いたくなる気持ちはわからないでもないが、それはあまりに傲(ごう)慢(まん)というものだろう。


私の本も、インターネットの書評サイトでかなり叩(たた)かれているものがある。それはそれでやむをえないと思っている。ある程度売れると、それをけなしたがる人間がいるものだ。本をけなすと、自分が著者よりも偉くなったような気がするのだろう。私自身も本を書くようになる前、いや、正直に言うとある程度売れる本を出すようになる前、他人の本をずいぶんけなしたものだ。


ただきわめて心外なのは、ないものねだりをしている評があまりに多いことだ。たとえば、私はある参考書を出している。その趣旨としていることは、「大学の小論文試験に何とか合格できるだけのレベルの小論文が書けるようにするため、最低限これだけの知識は持っていてほしい」という知識を整理した参考書だ。だから、私はその本の中では、敢(あ)えて難しいことは書いていない。ところが、その参考書を酷(こく)評(ひょう)する(注)書評がある。そして、その評の中には「この本を読んでも、かろうじて合格するくらいの力しかつかない」と書かれている。


私は、まさしくかろうじて合格するくらいの力をつけるためにその本を書いているのだ。


かろうじて合格すれば、その本は最高の良書だろう。私がそのような意味で敢(あ)えてカットしたことを取り上げて、それが書かれていないからと批判されても、こちらとしては困ってしまう。


そのような身勝手な書評がなんと多いことか。知識のある人間が入門書を幼稚すぎるとけなし、知識のない人間が専門書をわかりにくいとけなす。しかし、それは単に自分の背丈にあっていない本を求めただけのことに過ぎない。きちんと自分の背丈にあった本を探して買うのが、読者の務めだと、私は思う。


本について語るからには、あらゆる本に愛情を持つべきだと私は考えている。そうしてこそ、本を批判する資格を持つと思うのだ。


                                                                               (樋口裕一『差がつく読書』による)


(注)酷(こく)評(ひょう)する:ひどく厳しい評価を下す


65 筆者は、どのような書評が傲(ごう)慢(まん)だと感じているか。


1 大した理由づけもなく優劣を断定したもの


2 優れている点を決して認めようとしないもの


3 自身に知識があるかのように見せかけたもの


4 自身の判断がすべてであるかのように評価したもの


66 ある参考書について、筆者が心外だと感じたのはどのような書評か。


1 どうにか合格できる程度を目指したのに、それ以上の内容が必要だと批判したもの


2 合格に必要な最低限の知識を整理したものなのに、合格は不可能だと批判したもの


3 敢(あ)えて難しいことは書いていないのに、それでもわかりにくいと批判したもの


4 難しい試験でも合格できるように書いたのに、それでも不十分だと批判したもの


67 筆者によると、本が良書と言えるのはどのような場合か。


1 書評で強く批判されない場合


2 多くの人が価値を認めている場合


3 求める人に本の趣旨が理解しやすい場合


4 求める人のレベルや目的にあっている場合


68 本を批判する人に対して、筆者が言いたいことは何か。


1 著者のあらゆる本を読むべきだ。


2 極端に否定的な評価は避けるべきだ。


3 それぞれの本の存在価値を認めるべきだ。


4 どのような本にも先入観なしで接するべきだ。 


問題13 右のページは、ある大学の就職支援行事の案内である。下の問いに対する答えとして最もよいものを、1...4から一つ選びなさい。


69 留学生のマイクさんは日本で就職したいと思っている。マイクさんが必ず出席しなければいけない行事はいくつか。


1 一つ


2 二つ


3 三つ


4 四つ


70 林さんはマスコミ関連の企業に就職したいので、関連企業に就職した先輩の話や、関連企業の仕事内容について聞きたいと思っている。林さんは授業のため17時以降しか出席できない。林さんに合う行事はどれか。


1 ③と⑧のみ


2 ③と⑧と⑩


3 ⑧のみ


4 ⑧と⑩のみ 


 



開催時間:ア…14:50~16:20 イ…18:30~20:00 ※合同企業説明会は下記参照


開催場所:⑥以外…緑山ホール  ⑥…101教室


 


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